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愛と工作の日々

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3行で分かる武田信玄・・・実はエリート為政者!

武田信玄とは誰なのか、いったい何をした人なのか。大河ドラマ麒麟が来る」では信長との戦いを目前に籠の中で死んでしまいましたね(^^;)勉強しましたので簡単にまとめました。

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ドラマ「麒麟が来る」の武田信玄

3行でまとめると

●甲斐(今の山梨県)の武将で、戦を重ね勢力を大きく広げた有力武将の一人だった。
●為政者として優れ、金山開発、治水などに取り組み産業を大きく発展させた。
●上洛目前にして病死。その後武田家は織田・徳川軍に敗れ滅亡してしまう。

出生~父親の追放

甲斐(今の山梨県)を統治していた武田信繁の子として生まれました。武田家は代々甲斐の守護家であり、名家と言ってよい家柄でした。
信繁は領民の負担を顧みず戦を始めたり、意見の合わない家臣を斬ったりする独裁気質があったようです。当時の記録には「信虎平常悪逆無道也」とあり、家臣や領民からの支持も低かったようです。
信玄は駿河今川義元に協力を頼み父・信虎を追放し、新たな領主となりました。

政治

信玄は独裁気質の父とは対照的に様々な人の意見を政治に取り入れました。優れた人材の発掘に秀でており、身分にかかわらず重臣に取り立てました。
それぞれの分野の専門家の力を生かすことで、金山の開発、植林、製紙、漆器の普及など産業を大きく発展させました。
また河川の氾濫による被害が深刻だった甲府盆地で治水事業を進め、農業の発展に貢献しました。
産業、農業ともに甲斐の国が豊かになることで人々の生活は向上し、戦にも強くなったと考えられますね。

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信玄堤 (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E7%8E%84%E5%A0%A4)

戦国武将として

信玄は信長らと天下を争っていた有力武将の一人でした。有名な「川中島の戦い」では越後の上杉謙信と12年、5回に渡って戦いました。また1572年の「三方ヶ原の戦い」では徳川・織田軍に勝利します。最終的には信玄の勢力は長野、静岡、群馬など広大な範囲に及びました。将軍足利義昭に上洛を依頼されますが、結局上洛を果たせず病により亡くなります。信玄の死後、息子勝頼が後を継ぎますが、1572年の「長篠の戦い」と「天目山の戦い」で織田・徳川連合軍に敗れ、武田家は滅亡しました。
信玄が上洛を実現していたら、もしかしたら天下統一も有り得たのかもしれません。

その他メモ

・信玄と名乗りだしたのは39歳で出家してから。それまでは晴信という名前でした。
・父・信虎を追放したため荒々しいイメージがついたそうです。
・父親は甲斐に帰ろうとしますが、結局かなわず駿河で一生を終えました。

感想

領民から広く意見を取り入れて産業やインフラを強化したのが信玄軍の強さだったのではないかと思います。