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愛と工作の日々

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春日局って誰?底辺から頂点まで上り詰めたつよつよウーマン

春日局の伝記まんがを見つけました。「ピンで描かれるほどの人物なの?なんか大奥の偉い人だっけ?」程度の知識でしたが、実は底辺から頂点まで上り詰めたつよつよウーマンであることが分かりました。Wikipediaで調べた情報と併せて記録しておきます。

4行要約

●謀反人・明智光秀の家臣、斎藤利三の子として生まれ、幼少は逃亡生活を送る。
小早川秀秋の家臣、稲葉正成に嫁ぐ。秀秋の関ヶ原での裏切りにより、夫・正成はやさぐれてしまう。
●公募で将軍家の乳母になり、家康に直談判するなどの行動力で家光を将軍にする。
●将軍の乳母として権力を強め、最終的に従二位まで上り詰める。

中々の波乱万丈ぶりです。もう少し細かく見ていきましょう。

激動の一生

春日局の出自~謀反人の子

1579年、丹波亀山(現在の京都府亀岡市)にて斎藤利三とおあんの間に福(後の春日局)は生まれます。父・利光大河ドラマでも活躍した斎藤道三とは別の系譜で、母・おあんは稲葉良通の娘だそうです。

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ドラマ「麒麟が来る」の稲葉良通(一鉄)

丹波明智光秀の所領であり、利三は光秀から領地を与えられていました。
そして1582年、本能寺の変斎藤利三明智光秀とともに織田信長を倒します。明智軍は山崎の戦いにて秀吉軍に破れ、謀反人となった利三も切腹します。
幼い福と母・おあんは秀吉による残党狩りを恐れ逃亡。親戚である長宗我部元親を頼り高知に6年間隠れることになります。春日局の生まれ、幼少はまさに底辺だったと言っていいでしょう。

武家に嫁ぐ~関ヶ原の裏切者

1591年転機が訪れます。福は亡き父・利光の友人である海北友松に助けられ京に戻ることが出来ました。更に彼の紹介で三条西家に侍女として仕えることになりました。福はここで礼儀作法、茶の湯香道、手習い(習字)、和歌など教養を身に付けます。3年間の三条西家での修行で立派になった福は、備後の小早川秀秋の家来、稲葉正成に嫁ぐことが出来ました(この時17歳)。正成は稲葉良通の養子でもあります。
福と母・おあんの結婚目的は落ちぶれた斎藤家の再興であり、この結婚の後に福の兄達は小早川家に仕えることができました。
そして天下分け目の関ヶ原の戦いでは小早川秀秋の裏切りにより東軍が有利となり勝利しますが、この寝返りを進言した一人が稲葉正成です。
秀秋と正成は武功と引き換えに、裏切り者として世間から裏切り者として蔑まれることになります。

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漫画「風雲児たち」の小早川秀秋

将軍家の乳母になる

主君秀秋の元を離れ、正成のふるさと美濃に戻ることを決意した福と正成。しかし正成は昼間から酒を飲むダメ人間になってしまう。福は夫・正成と息子たちの為に何とかしたいという思いに駆られる。謀反人の子で隠れ住む身から武家に嫁ぎ斎藤家を再興した福ですから、主体性が半端ないですね。

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集英社版・学習漫画春日局」より

福は京都を訪れた際、将軍家の乳母募集の高札を見つける。稲葉家再興のチャンスと考え、正成に断りなく応募してしまいます。
このころ身分の高い人物は乳母によって育てられることが一般的でした。乳母選考の過程では福の家柄及び公家の教養と、正成の戦功が評価されました。福は後の二代将軍、家光(幼名:竹千代)の乳母となりました。
正成と孫・竹千代の乳母である福に恩を感じていた家康は、福の息子の稲葉正勝を家光の小姓に取り立たてました。その後正勝は元和9年(1623年)に老中に就任、寛永9年(1632年)には相模国小田原藩主となりました。
※正成との離縁と乳母になるまでのプロセスは諸説あるみたいです

女性政治家として活躍

●将軍後継争いに勝利
竹千代が鈍臭かったのに対して、弟・国松(後の徳川忠長)は文武ともに優れ、江戸城内では次期将軍と持て囃されていました。傷心の家光は自殺しようとしますが、福はこれを阻止。何としても竹千代を将軍にすると思い立った福は、駿府で隠居する家康に直談判します。家康は竹千代派と国松派による争いを防ぐため、長男である竹千代を支持します。この結果跡継ぎ争いは竹千代有利となり、1623年竹千代は元服して名を家光と改め三代将軍となります。
福の直談判がなければ三代将軍は忠長だったかもしれません。福の家光への愛情は異常なまでに大きく、福が家光の実母なのではないかという説もあるそうです。ちなみに弟・忠長は1633年幕命により自刃してしまいます。

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漫画「シグルイ」の徳川忠長

●大奥総取締役になる
家光が将軍になったことで育ての親である福の地位も上がりました。大奥の決まりを定めた「大奥法度」の制定に協力したり、家光の結婚相手を見つけ、4代将軍家綱の誕生に貢献しました。
またお江与の方(家光、忠長の産みの母)が亡くなると、福は大奥の総取締役(最高責任者)となりました。将軍の権威を背景に老中をも上回る実質的な権力を握ったそうです。
紫衣事件
紫衣事件(幕府と朝廷のいざこざ)の際、福は幕府の使者として後水尾天皇に謁見しました。また天皇に会うにあたり官位が必要になり、三条西家に縁組します。同時に春日局に名前を変えました(この時51歳)。
天皇は「乳母ごときを使者に立ておって…(#^ω^)」と腹を立てます。幕府が朝廷を下に見ていること、そして春日局の地位の高さが良く分かる出来事です。

頂点に上り詰める

最終的に春日局は従二位まで上り詰めました。これは北条政子に比肩する位階であり、女性としてはほぼ頂点(テッペン)まで上り詰めたと言っても良いのではないかと思います。徳川家光により「参勤交代」「鎖国」などの制度が敷かれたのち、春日局は65歳で息を引き取りました。始まって間もない時期の徳川政権の安定化に貢献しました。

春日局は「悪女」なのか

春日局の生き方から学べる事